書籍・雑誌

2009.09.06

陽だまりの樹

手塚治虫「陽だまりの樹」小学館文庫1~8を読む。幕末から明治時代への激変の時代を生きた二人の若者の生涯を描いた物語だ。一人は手塚治虫氏のおじいさん(手塚良案)がモデルで、もう一人は架空の人物と思われる徳川幕府に忠信をつくした伊武谷万二郎を通じて末期の幕府、「異国」との関わり、医療や軍事の近代化の歴史が描かれている。良庵は軍医として従軍した西南の役で病死、万次郎は五稜郭で最後を遂げたことになっている。

この物語は良庵を通じて手塚治虫の戦争や病気と医療のかかわりの考え方(生命観)がよく表れているように感じた。「陽だまりの樹」というタイトルは、水戸学の藤田東湖が幕末の幕府の有様をたとえて述べた言葉として描かれている。300年めぐまれた環境に育った樹は大きく育ったけれどもその内実は弱いもので、いまや朽ち果てようとしている。政治・軍事や学問・医療など新旧交代するダイナミックな時代と人々を描いた「歴史漫画」で、読み始めるとやめられない。漫画の文庫本ということで絵が小さいのがちょっと残念。

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2008.07.02

遙かな町へ

谷口ジロー 「遙かな町へ」 小学館ビッグコミックス・スペシャル 2005

 同郷のしかも同世代の漫画家ということで、作品にも故郷の風景が描かれ親しみを覚えていた作者の最近の作品。主人公の中原博史は40代後半で、仕事に忙しく幸せにも気がつかず暮らしていた。ある日、出張で乗り間違えた列車で数十年ぶりの故郷に向かい、母親の墓参りをするのだが、そこで14歳の中学生時代にタイムスリップし、その後の歴史を知っている少年として再び故郷で思春期をすごすことになった。
 懐かしい風景の中で、思い出の中にしかありえない思春期のさまざまなエピソードが懐かしくまた手にはとどかないものとして胸にひびく。自分の中に同じ思いのあることに気がついた博史は現在の本当の年齢とほぼ同じ頃に新しい人生を求めて失踪した父の生き方を理解することができ、いまの幸せと向き合う決心がついたかのようだ。そして、再び、タイムスリップした母親のお墓の前でふたたび現在の時間に戻ってくるというストーリーだ。
 タイムスリップそのものはとりたてて目新しいストーリーとは言えないが、ちょっとくたびれてきた中年の生き方の模索、もうかえることのできないふるさとや思春期の思い出、ながく理解することができなかったさまざまな事柄への思いは普遍的なテーマであると感じられた。また、終章で中学時代の親友島田大介から小説「遙かな町へ」が送られ、その謹呈の辞は「時の旅人へ」と記されていた。このエピソードはタイムスリップに不思議な現実感を与えることに成功しているように感じられた。
 夏目房之介氏の解説は「失われた「何か」の再現」というもので欧州でさまざまな賞を受け、ベルギーでは映画化の企画も進んでいるということである。

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2008.03.07

服従実験とは何だったのか

トーマス・ブラス(著)野島久雄・藍澤美紀(訳)服従実験とは何だったのか:スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産 誠信書房 2008

 ミルグラムによる服従実験はよく知られている。私の授業でも必ずとりあげるトピックである。その実験そのものの面白さ、実験の醍醐味とも言えるが、はもちろんだがその実験はさまざまな観点から現代においてもなお重要な話題を提供し続けている。

 本書の著者はミルグラムに直接師事していたわけではないが、文献や関係者へのインタビューによってミルグラムの短すぎた一生を鮮烈に描いている。
 ミルグラムにはさまざまな評価があったようだ。ひとつにはミルグラム自身の「複雑な」パーソナリティや行動に起因するものだったかもしれない。

プロローグではミルグラムが服従実験の実施に至る背景が手短に述べられている。ミルグラムが行動を「状況」の関数として理解しようとした背景を理解することができる。当時優勢だった行動主義の考え方とクルトレビンらのゲシュタルト心理学の条件分析に基礎をおく認知主義的な考え方が融合していたように思われる。

当時の米国では行動主義の影響力が大きかったが、ドイツから移住したクルト・レビンらのリーダーシップに関する研究における「認知」の条件分析の考え方が社会心理学に新しい方向性を与えていた。(認知的不協和理論を唱えたフェスティンガーはレビンに学んだ。)

ミルグラムの関心は「目に見えないルールや規範」が人間の行動に影響を与えており、そのことに当事者自身も気づいていないことがある」という点にあったが、それを実証的な方法で解明することができるということに社会心理学の魅力を感じたのであった。行動の「状況主義」的解釈は今日でも誤解を招いている面もあると思われるが、現象に即して直接問題にしている行動に影響する要因を分析しようとしたのである。行動と人間個人の特性については、ミルグラムは次のように述べている。

人は、内的な欲求から行動を開始することもあるし、私たちが生活している社会的な世界を能動的に作り上げもする、、、しかしながら、、、、社会の性質のなかで私の興味の対象とするものを補完する部分を調べるのは他の研究者たちにまかせておきたい(p.369)。

第一章と第二章はミルグラムの少年期、高校から大学の様子が描かれている。小学校当時から非常に優秀な生徒であったこと、高校の同級生にフィリップ・ジンバルドーがいた。進学したクイーンズ大学では政治学を専攻したこと、友人で(その後生物学者となった)バーナード・フライドから心理学の「講義」を受けていたことなどが書かれている。

ジンバルドーは「クラスの人気者」で、ミルグラムはすでに文章表現に優れていたらしく卒業アルバムにミルグラムについて「フィル副会長は背が高くスマート、青い瞳にゃ女もコロリ」と評し、自分については「クラスで最もおかしなヤツは、自分の対句を書くヤツさ」と。

ハーバード大学への進学を推薦され、思弁的であった政治科学の内容を実証的に研究しようとしていた新しい社会関係学部(今日の「学際的総合科学」の走り)の博士課程へ進学することになる。ここでゴードン・オールポート、ジェローム・ブルーナーらと出会うことになった。社会関係学部はその後必ずしも成功とは評価されなかったようだが、社会科学、人文科学の泰斗による幅広い教育が厳格に行われたようだ。研究テーマの面では客員教授のアッシュの研究助手を勤めたことが決定的であった。ミルグラムは学位論文のテーマに「国民性」を選び、アッシュの同調行動についての実験をもとにして「国民性」の国際比較にとりくむことになった。

第四章はプリンストン高等研究所でのアッシュとの「確執」のなかで、エール大学に任期付きの准教授として勤め始め、いよいよ「服従実験」を着想した「光輝く瞬間」を迎える。

私が考えていたのは、アッシュの同調実験を人にとって意味のあるものにするための方法だった。、、、私の考えは、(、、、同調実験、、)における支配関係そのものにターゲットをしぼったのである。いったい、人は実験者の命令にどこまで従うのだろうか。(p.84)

「服従実験」への構想はミルグラムがユダヤ系アメリカ人であったこととやはり切り離すことはできない。しかし、オールポートは服従実験をしばしば「アイヒマン実験」と呼んで、これは今日でもそのように呼ばれることが多いのだが、ミルグラムは、

「良心と権威の間の葛藤から生まれるジレンマは社会の本質に内在するものであり、ナチスドイツが存在しなかったとしてもこのジレンマは存在したことだろう。」(p.355)

と述べ、「アイヒマン実験」という呼び方は、過去の特定の惨事を対象としたものだという印象を与えかねないこをと危惧し、ミルグラムがとりあげた現象は現在もわれわれの身近に存在している普遍的な問題の一端を解明したことの意義を協調している。

 「日常生活を一枚めくったところにパンドラの箱があると思っている。だから当たり前と思っていることに取り組むことには価値があると思う。そこにはきっとびっくりすることが隠されているから。」というミルグラムの言葉の引用で締めくくられている。これは心理学に限らず科学的探求に共通したものだが、現在でもなお心理学ではまさにこの感覚が大切なように思われる。

ミルグラムは当時支配的だった「ハードな」研究方法について、「社会心理学が仮説とその検証という枠組みを協調しすぎることに対しては反対していた」(p. 56)

「社会心理学では、実験の最も重要な機能が仮説の証明であるという考えが広まっているが、それは誤りである。」(p.57)と述べ、理論や予測の根拠がいまだ未成熟な状況での仮説の検証をあやぶんでいた。「(国民性に関する研究の)現在の状況では、温度計に仮説が必要ないのと同様に、実験に仮説は必要ない。」

(第9章、10章、11章)

 服従実験が行われてからすでに40年以上が経過したが、ミルグラムのような創造的な研究はますます実施困難な状況にある。ミルグラムは「倫理的基準」にまともに取り組んだ最初の研究者かもしれない。今日それらをのりこえる研究法が求められている。
 訳は非常にこなれていて読みやすい。かなり大部(およそ450ページ)であったが、内容は魅力に富み一気に読み終えることができた。文献、資料類も省略されていないようである。

我が国では「服従の心理」が翻訳されているが、絶版になっているらしい。ミルグラムはフレージャーという学生の研究指導のため来日(1966、1967)したこともあり、「日本の日常生活のなかに美しさが満ちあふれていることに感銘を受け」、「日本の現代の木版画」の虜となり有名な作家の作品を多くもちかえり、自宅にいまものこされているそうである。そして日本のことを「三日月の形をした魔法の島々」と呼ぶほど好きになっていた(序文)、ということだ。

目次
序文
日本語版への序文
謝辞
プロローグ
第1章 名前のない街で
第2章 ハーバードでの成功
第3章 ノルウェー、そしてフランス
第4章 プリンストンからエールへ
第5章 服従-その体験
第6章 服従-その実験
第7章 ショックの後
第8章 学問の楽園への帰還
第9章 都市心理学
第10章 ひのき舞台へ
第11章 苛立ち、シラノイド、そして晩年
第12章 ミルグラムの遺したもの
付録

訳者あとがき
文献
索引

The Man Who Shocked the World: The Life and Legacy of Stanley Milgram by Thomas Blass, Basic Books 2004

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2008.02.12

子どもにいちばん教えたいこと

レイフ・エスキス 子どもにいちばん教えたいこと:将来を大きく変える理想の教育 草思社2007(Teach Like Your Hair's on Fire by Rafe Esquith )

「教職は報われない仕事である。教育の意義を信じたいが、その理由をみつけるのは至難の技だ。」(技はママ)ロサンゼルスのけっしてめぐまれているわけではない移民家庭の子どもが通う小学校の56番教室で、奇跡のような教育を実現している著者のエピローグはこの言葉から始まっていた。

この本を読んだとき、これはほんとうなのだろうか、と思ったほどだ。学力をあげるばかりでなく、毎年小学生が演ずるシェークスピア劇の活動は教師としてはじめて米国芸術大賞を受けるほどの教育が、いったいどのようにして実現されたのであろうか。本書の中にもシェイクスピアの含蓄ある言葉が節々に引用されている。また、「古典」にはすぐれて現代的な意味のあることも子どもたちに魅力的に教えられている。

生徒達の生きる糧として、読書し、勉強する習慣、音楽活動、スポーツ、地域へのすばらしい奉仕活動の実践が3章から10章で展開されている。これらは「安心して学べる場所」「教室を第二のわが家に」という著者の教育への基本的な姿勢の上に、豊かな教育として結実しているように思われる。

第2章ではローレンス・コールバーグの道徳発達の理論が採られ、教育の思想的根幹をなしている。

3章から10章は基本的な国語や算数、理科、経済など各論を「子ども最大限に伸ばす方法」論が展開されている。基本的な勉強というものを生活の中に根付いた知識、それこそ「生きる力」として身につけさせようとしていることがわかる。

11章ではさらにさまざまな問題解決のスキルが教えられている。試験問題を解く、ということも問題解決の1つだが、一部分にすぎないものとして、日常生活の上で起こる問題の発見とその解決法として実践されているところが素晴らしい。

12章から14章は映画、旅行、ロックバンドなど生活を、人生を真に豊かにする「情操教育」が展開されている。15章はコミュニティへの奉仕活動、ほんとうに感動的な、が語られている。翻訳では最後の16章が課外活動として続けられているシェイクスピア劇を作り上げていく過程が著者の教育思想・実践の総まとめとして述べられている。

人の尊厳とはなんだろうか。この生徒達は尊敬される存在に成長していくのだが、それはただ勉強ができることによるのでなく、このような人間的な行為のために尊敬を受けているのだ、ということを伝えようとしている。かれらは、われわれもおちいりがちな「勉強さえできれば」という思考のはるか彼方を目指しているようである。

このような奇跡のような教育を実現している著者でさえ、教育という仕事にうちのめされることがあるのだという。それが最初に引用した文章だ。そんなときにはある卒業生が書いたエッセイを読むのだという。それは、著者が目指した教育の神髄にふれた内容のものだ。この言葉のあとには56番教室の卒業生のエッセイが続く。
「不安や恐怖が幸せと笑いに取って代わった。教室は第二のわが家になり、クラスメートが第二の家族になった。あの教室で、わたしは人間として成長し、いまある私になったのだ。」
そして、レイフ・エスキスは「彼女はわたしの最高の教師なのだ」と書いている。ここに著者が考え実践してきた教育の本質があるように思う。

目次
プロローグ 教室での火事
Ⅰ教室を第二のわが家に
 1安心して学べる場所をつくる
 2レベル6の倫理をめざす
Ⅱ子どもを最大限に伸ばす方法
 3読書を自分のものにする
 4文章力をつける
 5算数を楽しむ
 6テストを攻略する
 7世界を知る
 8自分の手で実験する
 9スポーツから学ぶ
 10お金の使い方を学ぶ
Ⅲもっと上をめざそう!
 11問題を解くスキルを身につける
 12映画を成長の糧とする
 13街に出る
 14ロックバンドをつくる
 15コミュニティに奉仕する
 16シェークスピア劇をつくりあげる
エピローグ 安らぎの場としての教室

(翻訳者の菅靖彦氏によると翻訳版では一部割愛されている部分がある)

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2007.08.21

ふるさと

 このところ帰省する機会がなかった。それでもやはり故郷のことは気になるものだ。鳥取県の広報関係のメールマガジンを読んでいたところ、同郷の出身で谷口ジロー氏という漫画家の「父の暦」(ビッグコミックスペシャル、小学館、1995)が紹介されていた。同郷の漫画家では水木しげる氏や名探偵コナンの青山剛昌氏がよく知られているが、谷口氏の作品は初めてだった。
 主人公の「陽一」は高校を卒業して、東京の大学に進学してそのまま就職し、陽一の父が亡くなり、10数年ぶりに帰省し、親戚の人々との会話を通じて、父の一生、父母の離婚、父との葛藤など、陽一の生い立ちをふりかえり、やがて、父の生き方を理解する、という「私小説」であった。東京と「地方」の関係や故郷についての思いの1つの典型的なテーマが語られている。ストーリーーは1952年の「大火」をはさんで話は展開し、市内の町並みや近郊の海岸のなつかいしい風景がちりばめられていて、私にとってはとても懐かしく、生まれ故郷を遠くからであるが思いおこすことができる作品だった。

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2007.04.23

役に立つ高校数学

広田照幸・川西琢也(編)こんなに役立つ数学入門:高校数学で解く社会問題 ちくま新書653、2007

高校での勉強は受験のための道具のようになっているという。学習の面白さを楽しむことのできる一部の(?)高校生を除けば、たとえ「優等生」であってもな んのために学ぶのかがよくわからない「無意味感」に苦しめられているようだ。本書の編者である広田氏は高名な教育学者であるが、高校時代の勉強をふりかえってそ のように述べられている。本書は数学が苦手だったが、後に研究の必要にせまられてふたたび数学に出会うことになる体験が、さまざまな分野の研究者によって 語られている。それらを通じて、高校で学ぶ数学がとても社会の役にたっていることを例証しようとしている。高校でいろいろな教科を勉強するときに、このよ うな役にたつ例が示されれば、「無意味感」にさいなまれることは軽減されるのではないか、と主張されている。
 話題は広く社会的な問題にわたる。これらはいわゆる「文系」「理系」の枠組みではくくることができない分野である。文系・理系の分類は主に数学ができる かできないかで行われている。このことは決して間違いとは言えないが、現実には文系と呼ばれている学問にも数学的要素が強い分野も多い。

はじめに「高校数学が社会問題を解く」(広田照幸)
第一章「学歴社会の収入格差を考える」(佐藤香)
第二章「選挙における得票と議席」(田辺国昭)
第三章「格差社会を生むもの」(上島康弘)
第四章「松枯れと闘う高校数学」(鎌田直人)
第五章「高校数学でわかる地震」(平松良浩)
第六章「環境問題を解く高校数学」(川西琢也)
あとがき

各分野の基本的な問題を高校数学の範囲で説明し、基本的な理解は十分可能であることを示している。
 新しい学問の魅力を感じるようになるのはやはり「先生の力量」(上島康弘氏)に負うところが大きい。特に苦手な分野では。
 また、数学の勉強法としておもしろいのは、教科書の例題のみを何度もくりかえし解く方法が古典的で一番良い(川西琢也氏)、とのことだ。

 ただ、著者諸氏は数学が苦手であったこと、人によっては落ちこぼれであったことを告白されてもいるが(もちろん謙遜であろう)、いまは数学を使っていろいろな研究を進めている、というような内容から、どうしてもちょっと自慢話みたいに聞こえてしまうところもある。
 また、執筆者は大学に所属する研究者の方々なので、本書の意図に反して、研究には役立つかもしれないが、自分は研究とは無縁である、というような印象をもたれるかもしれない。編者の川西氏は後書きのなかで、企業や社会の中で、高校・大学での数学を日々の仕事のなかで使っている方々の話を聞いてみたいと述べられているが、このような続編が計画されているのかもしれない。

 高校での勉強や進路を考える上で、「数学」に限らず、このような副読本が各教科に用いられるとよいと思ったことと、実は心理学にもそうとう数学的な領域があるが、残念ながら本書では取り上げられていない。高校教科の内容で学ぶ「心理学副読本」があってもよいのかもしれないと思う。

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2007.02.10

ハミル館のパヴロフたち

三宅進 ハミル館のパブロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 2006

 戦後、昭和20年後半の関西学院大学の動物心理学研究室の草創期を学生、院生としてすごされた著者による「裏の心理学研究室史である」。当時のエピソードを通じて今日の心理学のありかたが問われているように思う。
 関西学院大学の心理学研究室は学習心理学の分野、特に古典的条件づけの研究拠点として世界的にも有名であるが、その草創期を担われた今田恵氏、古武彌正氏、石原岩太郎氏、多河慶一氏、新濱氏との交流・指導の様子がいきいきとつづられている。いろいろなエピソードは時間の経過による誇張もあるのだろうが、軽妙な関西弁で語られる会話は漫才のようで、大学からの帰り道の車内で笑いがこみあげてきてちょっと困るほどだった。
 現在の関西学院大学の隆盛の基礎となったのは

「私学の研究室は公立の大学のように広くなんでも売りに出すデパートのようなわけにはいかん(注1)。私立は専門店にならなければあかん。岩おこしはあそこのもの、羊羹はあの店でなかったらあかんのやというように。うちの研究室は学習が売りや」

という古武氏のことばであろう。また、同じく古武氏は「この研究室は実験を中心にした研究でないと駄目だ」とも言われていたそうである。心理学と実験という組み合わせは(今日でも一般には理解されていないとも言えるが)心理学の新しい方向を見越した先見的なものであったのであろう。
 本書の副題である、「もうひとつの臨床心理学事始め」の部分は、今日の心理学界の動向を考えるとき、ぜひ振り返っておかなければならないところだろうと思う。三宅氏らが予想した臨床心理学は学習心理学を基礎としたいわば基礎医学と臨床の関係に近い姿であった。このような方向は、後に、今田寛氏が発言しておられるサイエンス・プラクティショナー(科学的基礎にもとづいた実践家モデル)の源流がここにあるように思われる。現在の臨床心理にはこのような基礎が望まれているのではないだろうか。
 いきいきと語られる研究室の様子は私も学生時代をすごした研究室と類似したところがあっておもしろかった。まずは「官」にたいする「私学」の意地というか誇りというか、このあたりの意識は共感するところ大だ。実験も当時は実験装置を労を惜しまずに手作りしておられたところも共通していた。また、草創期の古く、またけっしてきれいとは言えない研究室が新しくなるにつれて、それまでの垣根のない梁山泊的な要素が失われていく様子などもどことなく類似しているようだった。
 もちろん、今日では研究の水準もはるかに上がり、高度に専門的な研究でなければ通用しなくなっていることがこの背景にはある。このエッセイの中に書かれているような、今日からみれば無謀とも思える実験を、とにかくやってみようとする、そのような決してスマートとは言えない部分が大事なところなのだなあ、とあらためて思う。また、「よく遊び、よく学び」という語順が一見逆転しているところが実は大事なことなのだなあと。
 それにしてもこんなオモロイ研究室史を各大学でだしてくれれば、心理学史のネタに困ることはないし、

「心理学ちゅうのは、なかなか面白いで」

ということを伝えていくことができるだろう。

(注1)今日では心理学関係の学科構成を見ると私立大学でむしろ規模が大きく充実しているが、デパートというよりは「コンビニ」的と言えるだろう。しかし、世界的拠点となっているようないくつかの研究室は規模とはあまり関係なく私立においてもむしろ小規模な「専門店」である。

 目次
プロローグ ハミル館に響く歌声
第一章 半地下研究室に広がる未知の世界
第二章 行動療法への歩み
第三章 よく遊び、よく学び
第四章 先生方の肖像
第五章 呑んだ、書いた、受かった
第六章 パブロフにならって
第七章 時の流れに失われたもの
第八章 心に科学を
エピローグ 「百年舎の美人ウエートレス」

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2007.01.08

携帯電話

 昨年末に知己の東福寺一郎氏(三重短期大学)から「大学生の携帯電話利用にかかわる行為と倫理観」(三重短期大学法経学会「三重法経」第128号(2006)p.15-21を送っていただいた。
 東福寺氏の論文では大学での携帯電話の利用状況、その状況での携帯電話をつかうことの適否(正当性の認識)について質問紙調査の結果がまとめられていた。調査対象者はある授業の受講者(大学1、2年生)およそ100名(男子がおよそ75%)であった。
 携帯電話の普及とともにさまざまな行動変化がみられるようになったが、その中で東福寺氏は日常生活におけるさまざまな状況、特に、携帯電話の使用の是非が問題になりそうな歩行中、電車等の優先席付近での使用、自転車に乗りながら、病院、図書館、講義中の行動に注目している。調査項目は各状況でどの程度携帯や携帯メールを使ったことがあるかという質問およびそれらの場面で携帯や携帯メールをつかうことの善悪の判断(「倫理観」)が問われている。それぞれ5件法の回答形式で行われている。

 また、一日にどのくらい携帯電話をつかうか、という質問によりおおむね「10回から15回程度」以上を「高頻度」群(61名)、「数回程度」および「あまり使用しない」を「低頻度群(41名)、にわけて集計分析されている。

 調査の結果によると、通話の頻度も高いがメールやインターネット利用が多いことがうかがわれる。
 以下、大学に関係した項目が興味深いのでこれらを中心にまとめておこう。
講義中に通話したことがあると応えた学生はさすがに少なく(2%:低頻度群、0%:高頻度群、以下同様)であったが、メール・インターネット利用となるとそれぞれ(40%、60%)となる。また、図書館で通話したことがあるか、については講義中と同じで(2%、0%)と低いがメール・インターネットは(42%、77%)にのぼる。
 一方これらの行為の善悪判断については講義中の通話(95%、98%)、メール・インターネット(54%、53%)、図書館での通話(95%、97%)、同じくメール・インターネット(29%、35%)となっていて、通話についてはあきらかに不適切と考えているが、メール等については判断が分かれていた。
 私自身の経験でも携帯電話の普及期にはよく講義中に呼び出し音が鳴るという経験をしたものだが、最近では「マナーモード」の普及でこれらはむしろ恥ずかしい行為となっているのではないだろうか。しかし、携帯のメールについては新田文輝氏(「静かなる私語」:携帯電話と大学生の行動変化、吉備国際大学社会学部研究紀要、2002、第12号、75-85)による、講義中のメール交換について72%が「ある」としている研究が引用されている。しかも1つの講義中に「2ー4件」のメール交換をする、が6割を超え、その内容は特に急ぎの要件というわけではなく「世間話」や予定の連絡、友人のうわさ話などであるようだ。
 講義中のこのような携帯利用の善悪については、東福寺氏の結果でもメールについては意見が分かれていたが、新田(2002)によると他人に迷惑をかけていないので良い、とする考え方が多いようである。すなわち、「損をするのはメールする学生」(50%)、「誰にも迷惑をかけないからいい」(27.5%)とする意見が多いようだ。ほんとうに、誰にも迷惑をかけていないかどうかはよく考えてみなければならないと思われるが、大学により程度の差こそあれ、実態としてはこのような傾向にあると思われる。これにどのように対応するかは(古典的な「内職」への対応と同様に)なかなか難しい問題である。

 他の状況については、特に病院、優先席近くでの携帯使用等についてはおおむね社会的な常識にそった判断がなされ、実際にも使用を控える傾向が見られる。東福寺氏は特に自転車に乗りながらの携帯使用、メール使用について注意を喚起しておられる。それらを不適切であると判断している一方で、比較的高い割合(30%~56%)で通話やメール等を利用したことがあると応えている。自動車の運転時には「違法」であるが自転車(軽車両)の場合には特に罰則規定が設けられていないが、たしかに危険性はかなり高いものと思われる。

 なお、調査法については個人のプライバシーにも関わることもあり実際には困難かもしれないが、調査対象者の同意を得た上で専用の携帯電話を用意して通信ログを分析する、という方法も考えられる。また、データの分析についてはごく基本的な集計が行われているが、特に「行為と倫理観の相関」については、全体的な相関のみでなく、どのような携帯についての倫理観をもつ個人がどのように利用していたか、について傾向がわかるような分析方法をとるとどのようになるのだろうか、と思った。また、もしも「他人に迷惑をかけない」ことが一定の行動規範になっているとすれば、他人の「迷惑」を具体的にさし示すことで「不適切な場面」での利用を抑制する方法を考えるヒントになるのかもしれない。

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2007.01.06

Sociometrics

社会の見方、測り方:計量社会学への招待
数理社会学会(監修)与謝野有紀、栗田宣義、高田洋、間淵領吾、安田雪(編集)
勁草書房、2006

 本書は計量社会学で用いられている研究手法、主として統計的方法、を計量社会学研究の例を通じて紹介・解説されたものである。手法としては人文・社会学系でよく用いられている記述統計学、推測統計学、多変量解析法が取り上げられている。本書の特色は典型的な計量社会学の研究事例とあわせて統計技法が解説されている点にある。
 取り上げられている社会現象は、家族、犯罪、役割行動、選挙、宗教、自殺、教育、社会階層、人間関係、性格検査(F尺度)など多岐にわたる。
 「本書の使い道」として、(1)社会学関連領域を学ぶための「計量分析入門書」として、
(2)計量分析の手法を「社会学的研究に応用する際の実例集として」、(3)「分析手法を選択するためのハンドブックとして」、が想定されている。
 「本書の使い方」にはこれらの三つの用途として使いやすいように「分析目的」、「分析手法」、「社会学の(研究)テーマ」それぞれから該当部分をさがしやすいように工夫された「目次」と索引が用意されている。

 取り上げられている研究事例には計量心理学の分野とも関わりの深いものも多くあり、特に社会心理学的な研究といってもよいものも取り上げられている。たとえば、 犯罪と社会的諸条件の関係、投票行動、地位達成、人間関係の分析、親子の価値観の研究、権威主義(F尺度)などである。

 3-7「権威主義的攻撃とF尺度」(複数の連続尺度間の類似性を検討し要約する:因子分析、石黒格著 p.279-295)ではAdornoらが唱えた「迷信にとらわれ、同時に権威に迎合するある種の心理傾向」を「権威主義的パーソナリティ」と名づけ(質問項目間の相関関係に注目して)9つの下位尺度の得点を「権威主義的パーソナリティ」の測定値とした。これは基本的には因子分析の考え方と同じである。このような「(古典的な)概念」を計量分析の現代的な手法で実証的に検討できることを示した事例が解説されている。
 しかし、この研究が社会学的な研究である所以はどこにあるのだろうか。また、この例は心理学の研究でもあるが、同じくそれが心理学的な研究とされる理由は何なのだろうか。心理学ではこのような概念は記述的な意味でのパーソナリティとして理解されている。社会学的な研究ではF尺度得点と各種の社会学的条件の関係が追求されることになるのであろうか。
 他方、たしかに統計的なデータをきちんと調べることで明らかになることは多い。特に、価値観や偏見による影響を受けやすい対象についてはこのような実証的な手法をとることは重要であると思われる。
 本書はこのような社会学的な研究対象を事例として各種の分析手法(質的・量的)が体系的に解説されているという点で特色があり、また、類似の心理学的テーマを考える際に参考になる点も多かった。本書の英語タイトルはAn Introduction to Sociometricsとなっている。心理学の分野でもよく知られているようにモレイによる人間関係の測定法としてのソシオメトリーという用語が先行している。本書では英語ではまだ一般的ではないかもしれないがあえてSociometricsという用語を選択したということである。
 計量心理学の分野にもこのような入門書があるとよいなあと思いながら読み進めている。

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2006.12.25

パーソナルコンピュータによる心理学実験入門

北村英哉・坂本正浩(編)ナカニシヤ出版(2004):副題「誰にでもすぐできるコンピュータ実験」

心理学とコンピュータの関わりは意外なことかもしれないがとても深いものがある。本書は心理学の研究法としてのパーソナルコンピュータの最近の利用の仕方がわかりやすく紹介してある。実験心理学の分野では刺激の提示装置、実験プログラムの制御、反応の記録、データの分析など研究のすべての局面で利用されていて、文字通りデスクトップ・ラボラトリーのジャンルを構成しているといっても良いだろう。今日ではPCそのもののハードウエアの性能は十分なものになっているので本書で取り上げられているのは主にソフトウエアである。

手軽なところではまずパワーポイントを刺激提示装置として利用する例が取り上げられている。これは往年のメモリードラム的な利用法である。時間分解能が秒単位で充分ならばこれだけでも便利な刺激提示装置として使うことができる。ただし、反応は取り込めないので選択反応の記録や反応時間等の測定はできない。

実験プログラムは従来は汎用の手続き処理のプログラム言語をつかって作るのが一般的であった。本書で紹介されているDelphi、BASICなどがよく用いられているが、HSPはフリーのソフトウエアながら画像の提示時間や反応時間測定でミリ秒単位の制御が可能になっているとのことだ。「文法」もBASIC様ということなので手軽に利用することができるだろう。

実験プログラムは研究分野によってある程度定型的なパターンが決まっている。しかし、これを手続き処理型のプログラム言語で書くとそれなりに複雑な作業となる。従来はプログラムは自分で書くしかなかったのだが、最近では心理学実験に即した実験プログラム開発環境が比較的手軽に入手出来るようになっているようだ。このような開発環境で代表的なものにE-Primeや本書で取り上げられているSuperLabやInquisitがある。SuperLabをとりあげた章ではStroop課題の実験プログラムが例としてとりあげられている。実験の最小ユニット(Events)、試行(trials)を定義し、これらを組み合わせてブロックを定義していくことで実験プログラムをつくっていくことができる。実験に必要な基本的なパーツがあらかじめ提供されていてこれらを、丁度、レゴのようにユニットとなるブロックをくみあわせていくようにして実験プログラムを作っていけるようになっている。イベントでは正誤反応の設定、反応毎のフィードバックも設定することができる。

Inquisitも同様の開発環境であるが、SuperLabをGUI型にたとえるとこちらはコマンド型にたとえられるだろうか。Inquisitの開発者は心理学の研究者であるとのことで、現在はMS社のVisual Basic部門で働いているということだ。本書では「潜在連合テスト」の例が取り上げられているて、「語彙決定課題」における「閾下プライミング効果」を利用する新しい「態度測定」の方法が採り上げられている。通常のCRTをつかってミリ秒単位の提示時間制御が可能となっている。

これまでのところPCではもっぱらDelphiを利用して実験プログラムを作ってきたが、このような新しいソフトウエアを使えば、これまでより「楽に」しかも正確なプログラムを書くことができそうだ。(長期的には、汎用の言語と異なり、特定の開発環境に依存する危険性は残されることになるがのだが、サポートの問題が出る頃にはたぶんより使いやすく簡便な開発環境が提供されるだろうから、心配することはないだろう。たぶん。)

本書を通じて最近の実験プログラムの開発環境の様子を知ることができた。 SuperLabとE-prime(およびInquisit)を試用してみようと考えている。

本学で1990年にまとめた「心理学に必要なコンピュータ技術」も今日的な内容で改訂しなければ、と思う。

目次
1.PowerPointによる心理学実験
2.SuperLabによる心理学実験
3.Inquisitによる心理学実験
4.インターネットによる調査と実験
5.心理学実験プログラミングの基礎
6.心理学実験プログラミングの実際:HSP編
7.同:Visual Basic編
8.同:Delphi編
9.シミュレーション・プログラムの実際:Delphiの応用
資料

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