書籍・雑誌

2009.09.06

陽だまりの樹

手塚治虫「陽だまりの樹」小学館文庫1~8を読む。幕末から明治時代への激変の時代を生きた二人の若者の生涯を描いた物語だ。一人は手塚治虫氏のおじいさん(手塚良案)がモデルで、もう一人は架空の人物と思われる徳川幕府に忠信をつくした伊武谷万二郎を通じて末期の幕府、「異国」との関わり、医療や軍事の近代化の歴史が描かれている。良庵は軍医として従軍した西南の役で病死、万次郎は五稜郭で最後を遂げたことになっている。

この物語は良庵を通じて手塚治虫の戦争や病気と医療のかかわりの考え方(生命観)がよく表れているように感じた。「陽だまりの樹」というタイトルは、水戸学の藤田東湖が幕末の幕府の有様をたとえて述べた言葉として描かれている。300年めぐまれた環境に育った樹は大きく育ったけれどもその内実は弱いもので、いまや朽ち果てようとしている。政治・軍事や学問・医療など新旧交代するダイナミックな時代と人々を描いた「歴史漫画」で、読み始めるとやめられない。漫画の文庫本ということで絵が小さいのがちょっと残念。

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2008.07.02

遙かな町へ

谷口ジロー 「遙かな町へ」 小学館ビッグコミックス・スペシャル 2005

 同郷のしかも同世代の漫画家ということで、作品にも故郷の風景が描かれ親しみを覚えていた作者の最近の作品。主人公の中原博史は40代後半で、仕事に忙しく幸せにも気がつかず暮らしていた。ある日、出張で乗り間違えた列車で数十年ぶりの故郷に向かい、母親の墓参りをするのだが、そこで14歳の中学生時代にタイムスリップし、その後の歴史を知っている少年として再び故郷で思春期をすごすことになった。
 懐かしい風景の中で、思い出の中にしかありえない思春期のさまざまなエピソードが懐かしくまた手にはとどかないものとして胸にひびく。自分の中に同じ思いのあることに気がついた博史は現在の本当の年齢とほぼ同じ頃に新しい人生を求めて失踪した父の生き方を理解することができ、いまの幸せと向き合う決心がついたかのようだ。そして、再び、タイムスリップした母親のお墓の前でふたたび現在の時間に戻ってくるというストーリーだ。
 タイムスリップそのものはとりたてて目新しいストーリーとは言えないが、ちょっとくたびれてきた中年の生き方の模索、もうかえることのできないふるさとや思春期の思い出、ながく理解することができなかったさまざまな事柄への思いは普遍的なテーマであると感じられた。また、終章で中学時代の親友島田大介から小説「遙かな町へ」が送られ、その謹呈の辞は「時の旅人へ」と記されていた。このエピソードはタイムスリップに不思議な現実感を与えることに成功しているように感じられた。
 夏目房之介氏の解説は「失われた「何か」の再現」というもので欧州でさまざまな賞を受け、ベルギーでは映画化の企画も進んでいるということである。

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2007.08.21

ふるさと

 このところ帰省する機会がなかった。それでもやはり故郷のことは気になるものだ。鳥取県の広報関係のメールマガジンを読んでいたところ、同郷の出身で谷口ジロー氏という漫画家の「父の暦」(ビッグコミックスペシャル、小学館、1995)が紹介されていた。同郷の漫画家では水木しげる氏や名探偵コナンの青山剛昌氏がよく知られているが、谷口氏の作品は初めてだった。
 主人公の「陽一」は高校を卒業して、東京の大学に進学してそのまま就職し、陽一の父が亡くなり、10数年ぶりに帰省し、親戚の人々との会話を通じて、父の一生、父母の離婚、父との葛藤など、陽一の生い立ちをふりかえり、やがて、父の生き方を理解する、という「私小説」であった。東京と「地方」の関係や故郷についての思いの1つの典型的なテーマが語られている。ストーリーーは1952年の「大火」をはさんで話は展開し、市内の町並みや近郊の海岸のなつかいしい風景がちりばめられていて、私にとってはとても懐かしく、生まれ故郷を遠くからであるが思いおこすことができる作品だった。

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2007.04.23

役に立つ高校数学

広田照幸・川西琢也(編)こんなに役立つ数学入門:高校数学で解く社会問題 ちくま新書653、2007

高校での勉強は受験のための道具のようになっているという。学習の面白さを楽しむことのできる一部の(?)高校生を除けば、たとえ「優等生」であってもな んのために学ぶのかがよくわからない「無意味感」に苦しめられているようだ。本書の編者である広田氏は高名な教育学者であるが、高校時代の勉強をふりかえってそ のように述べられている。本書は数学が苦手だったが、後に研究の必要にせまられてふたたび数学に出会うことになる体験が、さまざまな分野の研究者によって 語られている。それらを通じて、高校で学ぶ数学がとても社会の役にたっていることを例証しようとしている。高校でいろいろな教科を勉強するときに、このよ うな役にたつ例が示されれば、「無意味感」にさいなまれることは軽減されるのではないか、と主張されている。
 話題は広く社会的な問題にわたる。これらはいわゆる「文系」「理系」の枠組みではくくることができない分野である。文系・理系の分類は主に数学ができる かできないかで行われている。このことは決して間違いとは言えないが、現実には文系と呼ばれている学問にも数学的要素が強い分野も多い。

はじめに「高校数学が社会問題を解く」(広田照幸)
第一章「学歴社会の収入格差を考える」(佐藤香)
第二章「選挙における得票と議席」(田辺国昭)
第三章「格差社会を生むもの」(上島康弘)
第四章「松枯れと闘う高校数学」(鎌田直人)
第五章「高校数学でわかる地震」(平松良浩)
第六章「環境問題を解く高校数学」(川西琢也)
あとがき

各分野の基本的な問題を高校数学の範囲で説明し、基本的な理解は十分可能であることを示している。
 新しい学問の魅力を感じるようになるのはやはり「先生の力量」(上島康弘氏)に負うところが大きい。特に苦手な分野では。
 また、数学の勉強法としておもしろいのは、教科書の例題のみを何度もくりかえし解く方法が古典的で一番良い(川西琢也氏)、とのことだ。

 ただ、著者諸氏は数学が苦手であったこと、人によっては落ちこぼれであったことを告白されてもいるが(もちろん謙遜であろう)、いまは数学を使っていろいろな研究を進めている、というような内容から、どうしてもちょっと自慢話みたいに聞こえてしまうところもある。
 また、執筆者は大学に所属する研究者の方々なので、本書の意図に反して、研究には役立つかもしれないが、自分は研究とは無縁である、というような印象をもたれるかもしれない。編者の川西氏は後書きのなかで、企業や社会の中で、高校・大学での数学を日々の仕事のなかで使っている方々の話を聞いてみたいと述べられているが、このような続編が計画されているのかもしれない。

 高校での勉強や進路を考える上で、「数学」に限らず、このような副読本が各教科に用いられるとよいと思ったことと、実は心理学にもそうとう数学的な領域があるが、残念ながら本書では取り上げられていない。高校教科の内容で学ぶ「心理学副読本」があってもよいのかもしれないと思う。

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2006.08.29

くじら島

週刊文春(8月31日号)の表紙は海に浮かぶ島を描いたものだった。なにか親近感を覚え、すぐに見たことのある島にちがいないと思った。作者の「表紙はうたう(和田誠氏)」(158ページ)によるとやはり鳥取の砂丘の沖合にある「くじら島」を描いたものだった。その特徴的な形から子どものころからみんな「くじら島」と呼んでいたように思う。正式には「海士島(あまじま)」ということを記事から思い出した。
 偶然だが、英文朝日(International Herald Tribune, The Asahi Shimbun)の24日付け一面には鳥取砂丘の保全運動についての記事がのっていた。カラー写真付き。
 私が子どもの頃は砂丘地区ではむしろ砂との戦いで、防砂林や植樹がひろく行われた。しかし、砂のコントロールができるようになると、これが行き過ぎて砂丘が痩せてしまい、観光資源としての価値を損なうようになってしまった。そのため再び防砂林が縮小されたと記憶している。最近では河川や海岸の護岸工事によって川から運ばれてくる砂の流れがかわってしまい全国的に砂浜が消失している。鳥取砂丘もそのような影響を受けているようだ。
 山陰の夏の海の印象というと文字通り「白砂青松」である。バスに乗って海に行くと突然視界が開けて松林と白い砂のむこうに青い海が見えてくるポイントがあって、なつかしい思い出だ。まだあのポイントは残されているのだろうか。
 砂丘関連では、さらに、今日の朝日新聞に鳥取大学砂丘研究所で行われている砂漠化防止についての研究の意義が取り上げられていた(私の視点、国連砂漠化対処条約事務局長 ハマ・アルバ・ディアロ氏。原文は29日付ヘラルド朝日に掲載)。

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2006.08.02

エンジョイ・ベースボール

先日体育会総会に招かれていったのだが、そこで話のネタにと思いあるサイトで紹介されていた上田誠著「エンジョイ・ベースボール」(生活人新書、NHK出版2006)を注文していた。昨日届き、総会にはまにあわなかったが、一読したところこれからの体育会を考える上できわめて示唆に富む本ではないかと思った。
 上田氏は慶應塾高の野球部の監督として激戦の神奈川地区の予選を勝ち抜いて甲子園でベスト8まで戦った。新しい野球部のあり方として当時から話題になっていた。タイトルはちょっと誤解をまねきそうだが、悪い意味での体育会的な野球からいかにして脱却するのかを現したもので、決して安楽な野球部を目指しているのではない。高い志(「日本一になろう」)を、ハードだが理にかなった練習を通じて挑戦しようとしている実践の書である。実学としての野球という表現もできるかもしれない。野球を楽しみ、野球を通じて人を育てる学生野球としての理想的なあり方が魅力的に語られている。
 「謎にいどまない教育は空虚」なように挑戦のないスポーツも空虚なものだろう。本書の内容は野球部ばかりでなく他のスポーツ、勉学にさえも当てはまるのではないだろうか。

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2006.07.25

「系統樹思考の世界」

「博覧強記系サイト」としてときどき引用していた三中信宏氏著「系統樹思考の世界:すべてはツリーとともに」(講談社現代新書2006)をさっそく読む。以前、「失われた過去を復元する」というクラスター分析についての印象的な翻訳書を三中氏のサイトから直接購入したことがあるのだが、たぶんご自身で郵送の労をとられたのであると思うが、郵便の宛名など私の古い友人の筆跡に酷似していたこと、また、その発想や語り口も(文章から想像するのみだが)分野は違うもののとても類似していて驚いたことがある。
 本書は新書で294ページと充実したものだが、文章は読みやすく魅力的だ。「科学の共通言語としての系統樹リテラシー」というよりもサイエンスそのものの入門書であると言う方がふさわしいかもしれない。まず、三中氏の科学者としての来歴から始まっていて、現代の「科学者」の生き方はケーススタディとしても興味深いものだ。
 この本に興味をもったのは、心理学的なカテゴリー識別の問題と何か関連した話題がありそうだ、ということからであった。これについては、「ものを分類する」ことや推論のプロセスといった人間の認知能力が科学の基盤になっていることがとりあげられていた。
 古い話だが私が学生のころ「グラフ」理論のごく初歩的な応用レポートを学部の授業で提出したことがあるのだが、その問題はまだ考えてみる価値があるのかもしれない、とこの本を読みながらあらためて思い起こしたりしている。

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2006.07.21

「すごいグーグル術」

 ほとんど毎日お世話になっているGoogleだがどんな機能があるのか調べたことはなかった。本屋で「仕事で差がつく すごいグーグル術」(津田大介氏著、青春出版社2006、730円)が眼に留まったので買ってみた。インターネットを利用する検索のノウハウやヒントが満載である。
 先日、T型オイ2号が仕事のことで問い合わせをしてきたのだが、たとえばGoogleを利用すればすぐにわかるような事柄も含まれていた。どんな情報環境で仕事をしているのか、情報装備に不足はないのかちょっと気になったものだ。Googleはauのサイトでも(PCサイトビューアーをつかわなくても)使えるようになるらしいが、やはり調べ物をするにはPCと高速回線が必要だ。
 グーグルの検索方法は画期的なものだが、その一方ですべてのウェッブサイトの情報が検索対象として表示されるわけではなく、「フィルターリング」されて除外されているサイトがあることが指摘されている。その基準はやっかいな問題だ。

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2006.06.08

「究極の文房具カタログ」

別の文房具の本を探していたところたまたま高畑正幸著「究極の文房具カタログ:マストアイテム編」(ロコモーションパブリッシング社2006)が目にとまった。著者はテレビ東京・TVチャンピオン「全国文房具通選手権3連覇中」というほどの人で、サンスター文具に勤務されている。この本のおもしろいところは日常ごく普通に使っている文房具、机の上を見渡すとそこにあるような普通の文房具についてとてもくわしく、著者自身によるイラストとともにほとんど愛を語るように解説してあるところだ。写真よりもイラストの方が観察するという点ですぐれた方法だろうと思う。一本のボールペンにも高度な技術が注ぎ込まれていることはたしかに驚きである。文房具についての思い入れも織り込まれ、たとえば、モールスキンMoleskineの「野帳」ノートの紹介などは文房具好きにはたまらない部分だ。なにかその手帳をつかうことが非日常的というか脱日常的な明日を経験できるのではないか、というような期待感を充分に持たせてくれる。その日の帰りに丸善によったところモールスキンのノートコーナーがあって、一冊買ってしまった。まさに飛んで火にいる、、、。思うつぼだ。記事ではモールスキンの由来については特にふれられていなかったが、人の名前だと聞いたことがある。

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2006.05.08

「科学者という仕事」

 ある文字通り博覧強記サイトで知った酒井邦嘉著「科学者という仕事:独創性はどのように生まれるか」中公新書2006を読む。「はじめに」で述べられているように、学説そのもの以上にその学説を唱えたり発見したりした人物についての「余談」は今になっても講義の強い思い出として記憶に残っている。「こうした先人たちの逸話にこそ、科学者の独創性に触れる魅力や楽しさがある。そして、研究にまつわる苦楽を学ぶことは、精神的に大きな糧になると感じてきた」と述べられている。酒井氏の研究領域は脳科学という学際的な領域であり、心理学に関連したチョムスキーなどおなじみの学者も取り上げられている。本文は科学研究を志す大学生・大学院生にむけた「訓話」である。現在の科学者のおかれている諸事情をかいま見ることができる点では有益と思われるが、やや平板な印象を受ける。それよりも、この書をまとめられたきっかけであった、先人達の逸話を伝えることで科学や学問の面白さを伝える、という意図はこれらのコラムによって成功している。取り上げられている「逸話」でおもしろいのは「和風」をつらぬかれた朝永振一郎氏のものだ。
 私も学生時代に受けた講義でI先生はさかんに研究者やその研究室の写真をおりまぜられていたことをいまでも鮮明に思い出す。「ちょっと恥ずかしいけれども写真を撮らせてもらってきて、授業等で紹介するようにしてきた」とあるエッセイに書かれていた。もっとも私が興味をもったのは学説そのものというよりもその人物についての魅力であったようで、この講義の実質的成績は落第であったと思う。

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