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2017.10.01

「植木等とのぼせもん」

 クレイジー・キャッツの植木等を主人公にしたNHKのドラマ「植木等とのぼせもん」が面白い。原作は植木等の「付き人」だった小松政夫氏ということだ。第一話は配役と記憶の中のクレージー・キャッツのイメージの間にやや違和感があったが、第二話以降は配役陣がクレイジー・キャッツのメンバーをそれぞれうまく演じていた。
 各エピソードで植木父(伊東四朗)がつぶやく含蓄ある言葉がストーリーをすすめる構成となっているようだ。

 第二話(第一話だったかも?)では「わかっちゃいるけどやめられない」だ。この言葉は以前にも植木等の父親は仏教のお坊さんで、こんな歌をなんで自分が歌わなければならないんだ、と迷っていたときに、この歌は仏教の教えに通じるところがある、と植木を励ましたというエピソードは知っていた。仏教的な示唆とはおそらく異なるが、概論などの授業でなぜ心理学が必要か、ということを話すときの枕によく使わせてもらったものだ。私たちは意識せず素朴心理学的な人間の理解の仕方を日常とっていることに気づいてほしい、というのがその目的であった。第二話は小松政夫氏の母親が心配して上京するシーンがあったが、昔風の親ごころが描かれていて、あらためて自分自身をふりかえり不明を恥じるところとなった。

 第三話ではクレイジー・キャッツが大いに売れて、植木等が大スターになるにつれ、グループの間に軋轢が生じ始めたときに、「ひとにはそれぞれその人でなければ果たせない役割があって、、、」と植木父がつぶやくエピソードがあった。植木ヒトシはこの言葉にヒントを受けて、メンバー全員のそれぞれの役割が果たされてこそクレイジー・キャッツが成立するのだ、だれが欠けてもだめなんだ、と植木ヒトシが谷ケイをさとしていた。
 大学のある部署の懇親会で、同じような話をしたことがあって、T君はそのことをよく覚えていてくれて、私の送別会でその話をしてくれた。

 第四話では(クレージー・キャッツのメンバーはそれぞれ非常に優れたジャズメンだったが「スーダラ節」のようなポピュラーな歌ばかり歌う(歌わなければならない)植木等の音楽的才能を惜しむ小松政夫に植木父は「みんなすきなことばかりしているわけではないんだよ」と言い、植木ヒトシも「したいことではなくて、やらなくてはならないことをやるんだよ、、、ウエキヒトシもつらいなあ」と植木等氏の職業観を語るエピソードがあった。

 この番組を見ていて、同じような考えをもっていたことに気がついた。よく考えたことはなかったのだが、子供のころから見ていたテレビ番組から受けた影響だろうか。伊東四朗氏演ずるところの植木父が重要な役割をはたしていたが、クレージーキャッツというのはたしかにつきぬけたように明るいながらも、ある種の諦観を感じさせる存在で、それがよく表現されている。全8回、ということなので後のエピソードも楽しみだ。

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