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October 2017

2017.10.22

植木等とのぼせもん(最終回)

 今週は第8話で最終回。「流行歌」の世界ばかりでなく映画の世界でも大成功を収めた植木等とクレージー・キャッツの晩年が描かれた。植木父が植木等に「無責任をやっていたときのほうが本当のオマエだったのかもしれんなあ。スーダラやりつづけているうちにそれが心に染み込み、人生は外側から出来上がることもある、というハナシ」となかなか現代心理学的な分析だった。「わかっちゃいるけど、やめられない」もそうだが、仏教のお坊さんであったウエキ父のことばはどこか現代心理学的な人間の見方と共通するものがあるようだ。
 植木父そしてウエキヒトシを作り上げたワタナベプロ社長も相次いで亡くなり、テレビと映画の隆盛とともにあった新しいエンターテインメントを作り上げた一つの時代は終わりを告げる。
 「のぼせもん」というのは原作者小松政夫氏の故郷の博多の言葉のようだ。私の郷里でも「調子に乗るな」と非難するときに「のぼせんな」と言っていたが、多分同じような語感なのだろう。
 番組回しをしていたコマツマサオ「サイナラおじさん」は立派に芸能人としての地位を確立していたが、久しぶりの植木等の紅白出場の日には「付き人」時代にもどり運転手として植木等を迎えに行き、舞台のそでから輝くウエキヒトシの後ろ姿を見送るシーンがフィナーレとなった。コマツマサオ母とウエキヒトシが初めて出会うシーンも、母親役の富田靖子さんのちょっと昔風の母親役を好演。ちょっとのぼせもんロス。

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2017.10.15

世論調査

 午前中、某通信社より選挙についての世論調査の電話があった。固定電話へのランダム調査ということだった。ちょっと電話口の方は自信なさそうな感じで、ひょっとして詐欺電話かとも思ったが、初めての経験でもあり質問を聞いてみた。質問内容は今回選挙に関心があるか、選挙区(候補者)、比例区(政党)の投票先を決めているか、および回答者の年代であった。「妥当性項目」に該当するような質問項目はなかったように思う。
 公示期間も終盤にさしかかり、この調査もすぐに発表されるのだろう。選挙情勢調査は何のために行われるのだろうか、とも思うが、選挙結果の予想(と、いうよりは「みんながどのように考えているのか」という情報)はいろいろな事柄に影響するのだろう。
 固定電話、携帯電話のサンプリングの比率はどの程度なのだろう。また、回答に応ずるのは何%くらいなんだろうか。

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2017.10.14

植木等とのぼせもん

 今週は第7話 クレージー・キャッツは絶頂期を迎えようとしているときビートルズ来日のショックと小松政夫の独り立ちの話だった。この番組は「日曜洋画劇場」の映画評論家淀川長治氏のモノマネから始まっていた。どこかで見たことがあると思っていたが、この「形態模写」がコマツ政夫氏がタレントとして独り立ちするきっかけとなったことが描かれていた。
 コマツマサオが公演幕間の5分間をまかされたが、なかなか「ウケ」ない。苦しみながらもモノマネという形で、小松政夫氏にしか知り得ないクレージー・キャッツの「中の人」情報をネタにして幕間をうまくつなぐコントを生み出した。ウケようとして工夫した芸はほとんどウケなかったが、モノマネではあるが、幕間の役割をしっかり考え、小松政夫氏にしかできない内容にしたことが好評を博したように感じられた。
 最初は顔に直接スミで太い眉毛と眼鏡を描いていたが、これは見込みがあるとなると、すぐに眼鏡と手動の眉毛、テレビセットの枠などをクレージー・キャッツがつぎつぎ用意して、コントのバリエーションも広がっていく。
 コメディアンとして独り立ちできる見込みがたったところで、ウエキヒトシはコマツマサオを植木自身がデビューしたときと同じ待遇で芸能プロダクションにプロモーションし、独立させ、オヤジとしての役割を果たすことができた。と、いうところでいよいよ来週は最終回ということになってしまった。
 (前回のコマツマサオの親友との三角関係のシーンは「小指の思い出」を連想させるものだったが、今週はシャボン玉ホリデーで伊東ゆかりが歌うシーンがあった。どういうわけか小川知子の「ゆうべの秘密」と勘違いしていた。)

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研究会

 昨日は関係学会(法と心理学会)のプレセミナーに出席した。学会関係への参加は退職後初めてとなってまだ半年ほどにすぎないのに研究会の雰囲気とかなつかしく感じられた。セミナーは学際的学会ということで他領域(今回は「刑事訴訟法」)の入門・解説という内容だった。院生や若手の研究者で15名ほどだった。最近の若い人たちはみんな賢そうで美人・美男だなあ。
 法律や法学には人間的条件が深くかかわっていることを感じてこの分野に興味をもったのであるが、法学のなかにどのように心理学的な知識を融合できるか、については、いくつか「社会的実装」に成功した例(目撃証言の諸研究や幼児の面接法など)もあるが、未だに模索の段階であると思う。
 経済学では「心理学化」した行動経済学は世間的にもよく知られるようになったが「心理学化」した法学というものはどんなものになるのだろうか。
 旧知の先生方にも移動等があり、N先生は北大から立命館へ移動されたとのことだった。学振研究員だったIさんは阪大にポジションを得られた、ということで新しい分野にも意欲を示されていた。(以前より少しお太りになった?)お二人にはおそまきながら退職のご挨拶をしたのであるが、新しい学部を立ち上げ中のN先生からは自由な時間をもてることが大変貴重だ、というお話をいただいた。

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会場の甲南大学東京サテライトからの眺望。同じフロアーに関西学院のサテライトもあった。向かいは丸善の入っているビルと東京駅・丸の内方面。


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2017.10.06

運動プログラム

 Mコーチの退職に伴い、スポーツクラブの秋からのプログラムも変更があった。フィントレーニングは火曜の夜のクラスがなくなり、水曜日(入門20分)と金曜日の夜(30分)に変更になったので、前のクラスメイトと相談したところ金曜日に出るひとが多そうだった。日曜日の成人水泳のクラスはSコーチの担当になった。こちらはそのまま継続することにした。Sコーチは他の支店から移動になったベテランの方で、泳法の説明の仕方は以前おられたSSコーチに似ている。
 その他は変更なかったので、火曜日はなにか別のクラスに出てみようかな。パーソナルトレーニングでペアストレッチをお願いしているFコーチは、プロボクサー(先日世界チャンピオンになった岩佐選手。柏では初のチャンピオンということだ。)やパラリンピック選手のトレーナーも務められていて、私にとっては猫に小判なのだが、相談してみよう。

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2017.10.03

送別会2

 昨日はMコーチの送別会(その2)。今回は若い方で少人数の送別会ということで、柏駅近くのパブで待ち合わせ、柏ローカルの焼肉屋さんで。どちらも若い人たちの人気店で、日曜の夜にもかかわらずかなり混んで、楽しそうな賑わいだった。送別会の顔ぶれは年寄り(私)と妙齢の女性3人、なかなかのイケメンのMコーチ、堅実なサラリーマン氏というちょっと目を引く組み合わせだったが、おたがいスポーツクラブで知り合うようになったので共通の話題はフィントレーニングとダイビングで、これをめぐりいろいろややこしいが面白い話があった。
 若い人たちはこのような会に慣れている様子で、場を盛り上げるサプライズのプレゼントなど周到に用意されていたのには関心した。名前入りの万年筆と「アメフラシ」のきれいな写真集がプレゼントされてMコーチもとても喜んでいた。若い人たちはこんなふうに気をつかい、日常を楽しんでいるのだなあ。
 Mコーチには4年間にわたり「成人水泳クラス」と「フィントレーニング」では大変お世話になった。最近ではプールに来ている方から声をかけられ、クロールなど褒められることもあったり、水泳の楽しさがやっとすこし分かるようになってきたところなので、Mコーチの退職は残念だが、結婚とお子さんが生まれたことを契機にIT関係の業界に転身されるということだった。子供さんのために週末は家庭で一緒にすごしたい、ということだった。新しい世界へ転身するMコーチの健闘を祈る。(若い人はうらやましいなあ、之景。)


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2017.10.01

「植木等とのぼせもん」

 クレイジー・キャッツの植木等を主人公にしたNHKのドラマ「植木等とのぼせもん」が面白い。原作は植木等の「付き人」だった小松政夫氏ということだ。第一話は配役と記憶の中のクレージー・キャッツのイメージの間にやや違和感があったが、第二話以降は配役陣がクレイジー・キャッツのメンバーをそれぞれうまく演じていた。
 各エピソードで植木父(伊東四朗)がつぶやく含蓄ある言葉がストーリーをすすめる構成となっているようだ。

 第二話(第一話だったかも?)では「わかっちゃいるけどやめられない」だ。この言葉は以前にも植木等の父親は仏教のお坊さんで、こんな歌をなんで自分が歌わなければならないんだ、と迷っていたときに、この歌は仏教の教えに通じるところがある、と植木を励ましたというエピソードは知っていた。仏教的な示唆とはおそらく異なるが、概論などの授業でなぜ心理学が必要か、ということを話すときの枕によく使わせてもらったものだ。私たちは意識せず素朴心理学的な人間の理解の仕方を日常とっていることに気づいてほしい、というのがその目的であった。第二話は小松政夫氏の母親が心配して上京するシーンがあったが、昔風の親ごころが描かれていて、あらためて自分自身をふりかえり不明を恥じるところとなった。

 第三話ではクレイジー・キャッツが大いに売れて、植木等が大スターになるにつれ、グループの間に軋轢が生じ始めたときに、「ひとにはそれぞれその人でなければ果たせない役割があって、、、」と植木父がつぶやくエピソードがあった。植木ヒトシはこの言葉にヒントを受けて、メンバー全員のそれぞれの役割が果たされてこそクレイジー・キャッツが成立するのだ、だれが欠けてもだめなんだ、と植木ヒトシが谷ケイをさとしていた。
 大学のある部署の懇親会で、同じような話をしたことがあって、T君はそのことをよく覚えていてくれて、私の送別会でその話をしてくれた。

 第四話では(クレージー・キャッツのメンバーはそれぞれ非常に優れたジャズメンだったが「スーダラ節」のようなポピュラーな歌ばかり歌う(歌わなければならない)植木等の音楽的才能を惜しむ小松政夫に植木父は「みんなすきなことばかりしているわけではないんだよ」と言い、植木ヒトシも「したいことではなくて、やらなくてはならないことをやるんだよ、、、ウエキヒトシもつらいなあ」と植木等氏の職業観を語るエピソードがあった。

 この番組を見ていて、同じような考えをもっていたことに気がついた。よく考えたことはなかったのだが、子供のころから見ていたテレビ番組から受けた影響だろうか。伊東四朗氏演ずるところの植木父が重要な役割をはたしていたが、クレージーキャッツというのはたしかにつきぬけたように明るいながらも、ある種の諦観を感じさせる存在で、それがよく表現されている。全8回、ということなので後のエピソードも楽しみだ。

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