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March 2006

2006.03.23

おみやげ

江戸東京博物館のミュージアムショップはなかなかおもしろかった。おい1号~3号用におみやげを買った。昼食にはレトロな雰囲気を演出している「モダン亭」でオムライスを食べた。「江戸の学び」展をでると、広重の複製版画の展示があった。当時の技法や染料を忠実に再現したものということで、広角レンズをつかったような大胆な構図、人や動物、特に鳥の動的な描写や風景の繊細で印象的な描写はすばらしいものだった。複製品を一枚買いたかったのだが、一万円ということで、描かれた場所の現在の風景と対応させた「ここが広重・画・東京百景」(小学館文庫)でがまんすることにした。
blik

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桜咲く

両国駅から江戸東京博物館へぬける道のわきの桜はもう3分咲きといったところ。ソメイヨシノはまだまだなのと、やや紅色がかっているので彼岸桜だろうか。水戸の千波湖あたりは梅が満開で、柳の新緑と四季桜が咲いていて、日差しはすっかり春の気配だが、風はまだ冷たい。20060323

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「江戸の学び」展

 今日は楽しみにしていた「江戸の学び:教育爆発の時代」展(江戸東京博物館)にやっと行くことが出来た。すでに出版されている「図説江戸の学び」(市川寛明・石山秀和 河出書房新社2006)の内容であるが、それぞれ実物を見ると新たな感慨がある。ある寺子屋を再現した展示があったが、「天神机」や「字突き棒」、薄墨から何度も何度も使われて真っ黒になっている練習帳などをみる。先生(師匠)の背には天神様の掛け軸があり、その杉の壁板にはいろいろ落書きされていておもしろい。当時の人たちはとても小柄で手習いしている子どもの後ろ姿などをみるとほんとうにけなげな感じがする。当時から、我が国は世界にもまれなほど高い識字率を誇っていたことからもわかるようにすぐれた教育の仕組みだったのだろう。
 安定した江戸時代から世界の脅威にさらされるようになるころから、それに対応するべくして結果として学問は社会階層の流動化の役割を果たすようになっていった。立身出世や実力主義の世界となっていく今日の教育の始まりである。展示の後半はそれに対応して現在の一斉授業・どこか堅苦しい教室風景となっていく。それでも社会階層の流動化の仕組みとして教育はましなものだと思われるので、もはや寺子屋の時代に戻ることはできないのであるが、そこで見られたいろいろな創意工夫は今日むしろ新鮮なものに感じられるのである。

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2006.03.22

上原ひろみ

 あるサイトで紹介されていた「上原ひろみ:サマーレインの彼方」(神舘和典、幻冬舎2005)を読む。「百年に一人の天才ピアニスト」と評される上原ひろみ氏を追ったルポである。実は肝心の音楽の方はこの本を読み始めたところではまだ聞いていなかったのだが、この本を読んでいるととても音楽の表現が巧みで勝手に音楽を想像してしまい、実際にCDを聞いた時に、もしそれほどの音楽と感じなかったらどうしよう、などと思いながら、帰りの車内であまりにおもしろいので半分ほど読みふけったところで柏に到着した。
 若いのに古風なところが気に入った(と、いうか海外で活躍している若い人たちにはむしろ古風なところがあるようにも感じている)。上原氏は「私が大切だとおもっていることは努力、根性、気合いの三つです」と当然の様にいう。「音楽の専門家でない人が聴いてなんだかわからないけどイイ!と思ってくれる音楽がつくれたらすてきだなー!」。これは音楽ばかりか、いろいろな所に当てはまる話ではないかと思う。

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2006.03.21

色紙

 ゼミの卒業生が残してくれた色紙。一期生の色紙もしっかり保存してあります。sikishi

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2006.03.20

卒業式

 今日は卒業式。春としては少し風は冷たかったが、晴天にめぐまれた。午前から順番に大学・大学院・短期大学のそれぞれの式に出席した。今年の祝辞で印象に残ったのは「博士の愛した数式」の映画を取り上げられたK先生と、短期大学一期生の来賓A先生のスピーチだった。  K先生は映画に関連させて、大学(学校)と社会の違いとして学校では問いに対する答えが求められるが(たとえば、1+2=?)、社会では結果を3にするにはどのような解決法があるのか、が問われ、それには無限の答えがあることを述べられた。

 A先生は短期大学を卒業されてすぐに小学校に勤務され、今は校長先生をしておられる。「この大学の卒業生であることをバネにして」ここまで来られたこと、また、大学の近くを通りかかると今なお故郷にもどったような安堵感につつまれることを述べられた。卒業後にはいろいろなご苦労があったはずであることに思いをいたし、これから巣立つ卒業生をはげまし思いいたるすばらしいスピーチだった。
 式のあと、ゼミの卒業生に例年通りデジタル写真をコピーしたCDを記念として渡すことができた。ゼミで就職の決まっていなかった二人も決まったということで、今年は全員を社会の中へ送り出すことができたことを喜ぶ。

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2006.03.19

卒業式

 はやいもので、明日は大学・大学院・短期大学の卒業式を迎える。新聞には卒業の話題がいろいろ取り上げられている。
 「子育て 節目の証書:小学校卒業式 子は夢語り 母は・・・感激」という記事(朝日新聞2006.3.18千葉地方版)で、千葉市の源小学校のユニークな卒業式が紹介されていた。卒業生39人はそれぞれ「将来の夢」を発表し、保護者へも一人一人「保護者の卒業証書」を「子育ての節目を形として残したい」という長沢校長のアイデアで「授与」し今年で4年目ということだ。小規模な小学校らしい工夫だと思う。
 また、同日の東京新聞夕刊のコラム「放射線」は佐々木信夫氏(中央大学)の「卒業式の風景」で、UCLAの卒業式と日本の卒業式を比較し印象をつづっておられる。UCLAでは一人一人学位記を学長から授与されるが、その際笛や太鼓でにぎやかな雰囲気であること。学長の式辞のあと卒業生一人一人が将来の抱負をスピーチする。このように「明るい卒業式は若者の旅立ちをイメージさせる」とのべておられる。一方日本の卒業式は一般的に大学がとりおこなう厳粛な儀式である。中央大学では伝統的に縁ある「惜別の歌」が合唱されるが、旅立ちというよりは「別れ」をイメージさせるということで、学生の「卒業式離れ」が目立つようになっていると述べておられる。
 日本的な卒業式は「別れ」とともに、どことなく家族的な保護の下からきびしい社会へ巣立っていく、という意識があるようにも感じられる。
 さて、儀式にはそれぞれ象徴するべきものがあり、大学によって特徴があるとよいのではないかと思う。本学は小規模な大学だが、それでも一人一人に学位記を授与したり、スピーチしてもらうのはやはり時間的に無理だ。全体の式は大学の式として短く厳粛・儀式的に行い、そのあと学科程度に分かれて米国風の式にするのも良いかもしれない。

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2006.03.17

法哲学入門

 ルールや「法」とはなんだろう。ということで、法哲学入門(長尾龍一著 日本評論社1982)を読んでいる。イントロダクションが素人向けに興味深い話題から入り、基本的な知識をわかりやすく説明していく、というスタイルで書かれている。具体的な例が取り上げられていて、読みやすいためにちょっとわかった気になってしまうのだが、実際にはきわめて広大な背景知識がちりばめられているのであろう。最後の章は「知る者は言わず、言う者は知らず」という老子の言葉をひいて入門書を書いたことを謙遜しておられる。先輩の先生方にはこのような「知者不言」という共通した印象があったように感じている。最近このようなたたずまいの先生は少なくなっているようにも思うのだが、単に無知のため誰が「知者不言」であるのか判断できなくなってしまったのだろうか。

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退職

 今年度最後の会議で定年退職されるS先生が退任の挨拶をされた。S先生らしい洒脱な挨拶だったが、印象に残ったのは、大学の先生方はいつも不機嫌な顔をしておられるが、学生にもうつるのではないかと、また、大学の先生方はいつのまにか「裸の王様」になっているのではないかとも言われた。このような辛辣な内容の挨拶だったのだが、ユーモアにくるまれてさりげなく冗談めかして述べられた。退職の挨拶から、その先生の大学に対するスタンスがにじみ出て毎年興味深く拝聴しているのである。

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2006.03.11

梅ほぼ満開

 昨日あたりからniftyのこのblogサーバーが不調で書き込みが出来なくなっていた。今日の夜になって復旧した模様。

 中庭のしだれ梅がほぼ満開となった。例年より2~3週間遅い。近くを通りかかるとふくよかな香りに包まれる。しかし、灰皿がここにあるのは無粋の極みだなあ。sidare_ume

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2006.03.10

工藤公康氏の食事

 工藤公康「42歳で146km」の真実:食卓発の肉体改造(黒井克行著、講談社+α新書、2006)を読んだ。あるサイトで紹介されていた本で、タイトルどおり工藤選手をささえる工藤夫人の「心理学的栄養学」の内容の本。意外なことにその秘密は「粗食」にあるようだ。ただし、素材はそれこそお金に糸目をつけず吟味されたものであるが、食事そのものはお米と野菜を中心にしたむしろ日本の伝統食に近いものであった。ジャンクフードも時には食べたり、「栄養学」にかたくなにこだわるのではなく体調によって柔軟にメニューを変えたりといった点が「成功」の理由だろう。最適な食事メニューには工藤選手の生い立ちから試行錯誤的に選択されてきたものだが、個人差の大きい栄養学的ゴールに至るには多数の経路があるようだ。

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2006.03.05

世論調査

 ある通信社が定期的に行っているという世論調査アンケートを受けた。全国からランダムにサンプルされたということだが、まず、この調査活動の真偽をどのように判断すればよいのかを考えてしまった。いちおう電話で(調査依頼の案内に書いてあるのとは別の電話番号に)問い合わせて確認したが、これで本当に「確認」できるのかはわからない。まあ、実際の世論調査でランダムサンプルにあたったのは初めてだったので、授業の種にでもと思い調査を受けてみることにした。調査は完全な構造化面接法で、最初に調査員が「身分証明書」を提示して(これを見せられても確認のしようもないのだが)、個人情報保護やデータのあつかいについて口頭で説明があり、それから実際の調査にはいる。質問は12問ほどで、すべて選択肢による回答形式だった。調査員が質問を読み上げ、渡された選択肢リストの番号で答えていく。「その他」という選択肢が無く、答えるのが難しい質問もあった。時間は10分ほどで、最後に年齢と職業を聞かれた。
 調査員の方はアルバイト学生の様子で、何件くらい担当しているのか、など聞いてみたところ、最近は個人情報保護意識が徹底してきてなかなか調査に協力してもらえない、とのことだ。近いうちに結果が報道されるということだが、内容よりもこのような調査法の回収率などどの程度か形式的な面に感心が向いてしまう。本来は社会調査法等の内容かもしれないが、方法的には心理統計法と共通する所も多いので、授業でもこのような社会調査データのリテラシーについて触れるようにしたい。

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江戸の学び

 江戸東京博物館で「江戸の学び:教育爆発の時代」展が開催されている。見にいきたいのだが、学年末でなかなか時間がとれない。新聞広告にこの展示とタイアップした「図説江戸の学び」(市川寛明・石山秀和著 河出書房新社)が出ていたのでさっそく購入した。
 「寺子屋」の生徒や先生のいきいきとした図版が豊富で見ているだけでも楽しい企画である。ひとことで言うと「おおらか」という印象である。寺子屋は単にリテラシーを教えるもっぱら実用目的のみの私塾だというように考えていたのだが、これは誤解であるようだ。学習の仕方や教え方、師弟関係など独自性ゆたかできわめてすぐれた教育であったと思われる。今日においても示唆に富むものである。展示は26日までということだから来週はなんとか実物を見に行きたい。

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2006.03.03

昔の大学評価

「法学に遊ぶ:落語から法哲学へ」(長尾龍一著、日本評論社、1992)という法を巡るエッセイ集を読んでいたら、昔の大学評価の話がでてきた(慌てた大学者たち:日本法学史の一コマ)。明治36年(1903年)二月に東京帝国大学法科大学と当時新設まもない京都帝国大学法科大学を比較し、東大の高名な教授を実名で批評するという連載が始まったとのことだ(当時読売新聞で連載、その後、斬馬剣禅著「東西両京の大学」講談社学術文庫に所収)。
大学らしさ、という点について斬馬氏は、
 「自由討究と開発教育、これ実に、、(略)、、もっとも大学らしき制度とす。しかるに見よ、我が東京大学のごときは、ある科ににおいては日々学生の出席欠席を調査し、ある教師のごときは、遅刻者に向かいて減点をなすべしというがごとき、これ果たして大学学生を遇するの途なるか。(略)、、、これ要するに今の東京大学は、その学生に対する規則をもって束縛し、権力を用いて干渉し、徹頭徹尾小学校流の方法をもって彼等を教育せんと欲す。」と大いに批判し、一方京都大学にたいしては「東京大学の小学校的、監督的、圧制的、注入的、機械的なるに比すれば、さらに大学風にして、さらに放任自由の主義を採用し、さらに開発的活用的の精神を加えて、真に大学らしき大学の創立を見足るの実蹟、歴々として指摘し得るべきものあり。」と褒め称えている。
 100年前の大学と現在の大学はもちろん時代とともに異なるものであるとはいえ、大学評価も大いに変化変遷するものである。
 (斬馬剣禅はもちろんペンネームでその「正体」もエッセイの中で明かされている。)

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2006.03.01

エレガント

 帰りの電車でときどきいっしょになるF先生が早起きしてフィギアスケートの決勝をみるのだと意気込んでいた。私がニュースでしか見ないといったところ不思議そうな反応だった。で、フリーの演技は結局ニュースでみたのだが、F先生が言うように、それは素晴らしいものだった。あとで、解説などで知ったことだが、荒川氏のプログラムは玄人受けするもののようで基本的なスケーティング技術のレベルの違いが決定的だったようだ。これが他の選手に相当のプレッシャーを与えたのであろう。素人目にも立ち姿に荘厳な印象さえ受けたものだ。能面のような和風の顔は照明や角度によって複雑な表情を見せる。米国のある新聞は彼女の演技をエレガントと評したということだ。
 いろいろな報道があったが、特に、自分の技術的限界に直面したときの決断にはほんとうに感心した。自分のスケートをきちんと言葉で説明することができる点が素晴らしいと思う。

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卒業式

 今日は関係高校の卒業式に参列した。高校の卒業式は自分の卒業式しか経験がないので、記憶も薄れている。大学の卒業式との違いはやはりPTA関係者の祝辞があったことと、「仰げば尊し」が式歌として歌われたところだ。この美しい旋律と歌詞は旧制の女学高校にふさわしいように感じられるが、この高校の前身が女子高校であった伝統であろう。
 式のあと、教員の代表の方から挨拶があり、今年は例年にくらべて進学実績ばかりでなく運動部の活躍も目立ち、教員側にもいきおいと充足感が感じられた。これについていくつかの要因を指摘されていたが、このうちいくつかは大学も学ぶべきところがあるように思う。

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